パレスホテルと浅田勝美ソムリエ

   昨夜、自宅に戻ってメールを開いたら、札幌のK君から「パレスホテルと浅田勝美氏に関連する記事を送ります」とあった。2009年1月の「ソムリエ魂、次に」との見出しがついた読売オンライン記事だった。(K君、ありがとう!!)
 
【浅田さんの弟子がパレスホテル10階「クラウンレストラン」内を、他のウエーターとは違う格好で歩く。ひざ下までの黒い前掛け、胸元には金色に輝くブドウのバッジ。不破貞夫(55)の肩書は「シェフ・ソムリエ」。1万5000本のワインを、知識と技術を駆使して提供するソムリエの責任者だ】
 
「クラウンレストラン」、懐かしい!! かつて「パレスホテルのオータム・ディナーショー」に夫婦で招待された。担当者なのに、お客様の気分が分からなかったら話にならないと、パレスの担当者が手配してくれた。まだ20代で、まことにその場(クラウンレストラン)にそぐわない二人がいたことになる。沢たまき歌った。
 
読売記事には「浅田は東京中のホテルを回って、自身を『ワイン担当に』と売り込んだ。断られ続ける中、受け入れてくれたのが、最後に訪れたパレスだった。だが、入社後、ひとりでワイン、グラス、用具などあらゆるものを準備しなければならない。自分でも飲んだことがない5000本を買いそろえ、何とかオープンに間に合わせた。オープンから1か月、浅田らは、前年までの年間売り上げの8倍のワインを売った。『日本初のソムリエ』は一目置かれる存在になり、他のホテルでもソムリエを置き始めた」ともあった。
 
当時、ホテル業界で初めて「ワインセミナー」を開いたのも、浅田さんだった。プレス関係者約15名にワインの話と飲み方をレクチャーした後、数本の高級ワインを開けた。そのうち一本の名前は今でも覚えている。「トロッケンベーレンアウスレーゼ」。ドイツの白ワインで、小生もご相伴に預かった。それこそ「テースト・オブ・ハニー(蜜の味)」。トロリと舌を包んだ感触は今でも記憶に残っている。当時、パレスホテルでは一本10万円だった、と聞いた。自分の月給のほぼ二倍だった。