石飛幸三著「『平穏死』という選択」

【私の好きな言葉に、『人間の第一の務め。人間であること』というガエタノ・コンプリさんの言葉があります(『ほほえんで人生を』中央出版)。人間の務めの最後の締めくくりとして、私は『平穏死』を提唱します。『平穏死』の扉を開くのは、我々一人ひとりの意識だと思います】 (【 】内は同書からの引用)
 
 石飛幸三著「『平穏死』という選択」(幻冬舎ルネッサンス新書)は、こう終わっている。石飛氏は特別養護老人ホーム・芦花ホーム医師。この本は前著「平穏死のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」(講談社文庫)の続編に当たる。老衰末期の看取りのあり方について社会的な問題提起を行っている。
 
 「胃ろう」、「栄養点滴」の是非を問いかけ、「老衰」と「病気」の違いを語っている。昔は、老衰による自然死こそ幸せな「大往生」と誰もが言った。それが現在、終末医療と介護のカベによって困難になっている。【老衰による自然死の方が楽に最期を迎えられるのに、本人を苦しめてまで延命装置を講じる必要はあるのか―】。
 
 終盤で柳田国男遠野物語」から引用している。「昔は六十歳を過ぎた老人はみな『蓮台野(でんでらの)』に追いやる風習があった。年寄りは山の中に捨てられて孤独に野垂れ死ぬのではなく、老人だけの集落のような形で暮らしていた。日中は人里に下りていって野良仕事の手伝いなどをして食べ物を分けてもらっていた」
 
 【年寄りというのは、社会で役割を終えた存在なのです。若い世代におんぶに抱っこで寄りかかって余生を生きるのではなく、もう棺桶に片足突っ込んだ者としてのスタンスで世の中と関わる。そして、そのときが来たらひっそりと静かに身を引いていく。蓮台野の老人からは、そんな能動的な老人のイメージすら湧いてきます】。