「カッパドキア」からの連想

   我が家のトイレにかかっているクラブツーリズム・カレンダーの写真に「カッパドキアの朝」とタイトルがついている。尖った三角の奇岩が地面から大きな竹の子のように出ている。その上に丸いカラフルな気球がたくさん浮かんでいる。メルヘンチックで楽しい構図の写真になっている。
 
 「撮影地・トルコのカッパドキア」となっている。ところで「カッパドキア」ってどこだったっけ?? 位置ではなくて、何でその名前を自分が知っているのだろう。ここ数日間、トイレに行くたびにそんなことを考えていたが、思い出せなかった。カッパドキアカッパドキア、…。ギブアップだ!!
 
  と思っていたら、分った。塩野七生著「ローマ人の物語38キリストの勝利(上)」にあった。中ほどに「孤児になってしまった十二歳(ガルス)と六歳(ユリアヌス)の兄弟の保護者は、父を殺させた人であるコンスタンティヌスになっていたのである」、「この二人の兄弟が送られた地は、カッパドキアのマケルムだった」と出てくる。
 
 塩野七生は会社の先輩から紹介されて、40年前から読んできた。思考も文章も男性的なタッチで、イタリアの資料を刻み込みながら物語を構築していく。当然、時間的な捉え方も、地理的な捉え方も普通の日本人とはやや異なっている。とくに、リーダーシップ論は陰陽含めて鋭い見方をわれわれに提示してきた。
 
権力者を操る去勢者についても書いている。「彼らにも自己防衛の必要が生じてくる。それには主人の感情を自分に好都合な方向に持っていくことが不可欠だ。そして、それを現実化する最良の方法は、主人を常に不安にさせておくことであった。心配の種が尽きない限り、主人は彼の言に耳を傾けつづけるからである」。