母を背負った日

 「母の日」の今朝、北海道新聞「卓上四季」はこう書きだしている。「石川啄木が24歳で出した初の歌集「一握の砂」には、今なお人々の心を打つ歌がたくさんある。<たはむれに母を背負ひて/そのあまり軽(かろ)きに泣きて/三歩あゆまず>もその一つだ」。かつてたわむれではなく、たった一回だけ母を負ぶったことがある。
 
 札幌・白石のあるお宅で母と用事を済ませて、白石駅から砂川駅に向かうときのことだった。この日は、家人と正式に婚約する日で母と約束の時間に間に合うように出かけた。ところが思いのほか、白石駅は遠くって汽車の時間ギリギリになってしまった。母は少し足が悪くて駆け出すことはできなかった。
 
 駅に着いたら、滝川行きのホームは反対側だった。なんとか二人で急いで昇って、ホームを見たらすでに汽車が入っていて発車のベルがなり始めた。母は下りの階段が苦手だった。それで「おぶるから」と言って、肩を出した。母は一瞬躊躇ったが、ともかくその汽車に乗らなければならなかった。
 
 母は女性としてはやや大柄で体重もそれなりにあった。しかし、発車ベルの喧しい音が母を背負わせ、一気に駆け下りて入り口に滑り込んだ。一呼吸したら、汽車は出発した。席で向かい合って座り、お互いに「良かった」と同時に口を開いた。砂川駅に着いて、相手の家に向かった。「一緒になること」が正式に決まった。