「スピグラの会写真展」

 今朝の各紙に「米竜巻、街を裂くー死者24人」などと大きく報じられている。倒壊した小学校や被災住民たちの血や泥で汚れた顔が痛ましい。こうした「一瞬の事態」を数枚の写真を通して、カメラマンは我々に「何が起こっているのか」を知らせる。報道写真の凄さはそこにある。この街が、この人たちが一日も早く再起できることを願うばかりだ。
 
 昨日午後、読売新聞写真部OB会による「第11回スピグラの会写真展」を覘いてきた。昨日から26日(日)まで「ギャラリーいず」(中央区銀座1-5-4伊豆ビル2F、03-3561-3081)で開催されている。友人のK君も同行した。誰でも無料で入場できる。今月初めに元週刊読売のカメラマンだった旧知のHさんから案内状をもらっていた。
 
 災害写真のみならず、現役カメラマンは時代の先端部分に進んで踏み込む。反射的にシャッターを切り続け、自らの高揚と冷静のバランスをとりながら前進する。生き馬の目を抜く報道写真家たちが現役から退いたときに「何を撮るのか」という野次馬根性があった。「スピグラ」とは、スピードグラフィック(Speed Graphic)の略。グラフレックスが製造した大判カメラで、報道機関などでよく使われたという。
 
 会場には7,8人のメンバーが控えていたが、柔和な顔の中で眼だけはさすがに鋭さを残していた。Hさんが重い機材一式を背負いながら入ってきて、みんなから声をかけられていた。彼の作品は2点。「奈良で撮った雨上がりの蝸牛」と「真下から撮った浅草雷門の提灯」であった。こうして写真を見ながらいつも感じることだが、写真家の視線と心象は一般人のそれとは明らかに異なる。