糸川博士のペンシルロケット

   今朝の読売「時代の証言者」で日の丸ロケットの秋葉鐐二郎氏が東大・糸川英夫博士のペンシルロケットについて語っている。「東大生産技術研究所にロケット飛行班が発足。20㌢ほどの小さなペンシルロケットを作り、飛行実験をしようと考えた。実験は翌年に予定された」とある。1954年(昭和29年)のことで、小生は小学2、3年生だった。
 
 このニュースの直後から、日本に「ロケットブーム」が起こった。学校で「ロケットは火薬でなく、本物はガスの爆発で飛ぶのだ」と某先生から聞いた。たぶん、3年生の頃だと思うが、これでロケットに心を奪われてしまった。毎日、登下校のときにどうすればロケットが発射できるかを想像しながら、一生懸命考えた。
 
 幼馴染のTちゃんと一緒に下校するときに、二人で相談したのを今でもはっきり憶えている。ロケットの筒は鉄板を丸めて作る。その中で七輪に木炭を熾(おこ)してガスを溜める。ガスが溜まれば火がついてロケットは発射する。それだ!! 二人は肩で風を切って帰りを急いだ。しかし、数日後、二人はがっかりしていた。
 
鉄板で筒状を作るのは子どもに無理だったし、七輪は筒に入りそうもなかった。当然、爆発するガスも溜まるわけがない。頭の中にはしっかりと設計図ができていたのに、残念だった。まもなく、米ソの宇宙開発競争が始まり、この半世紀にロケットは飛躍的な発展を遂げた。我が木炭ガスロケットの失敗は今でもほろ甘苦い。