電車の別れと船の別れ

今朝「あまちゃん」を見ながら、考えていたことがあった。電車の別れと船の別れは決定的に違うなぁ~!! そのことを思い出し、再確認した。今日は「アキ」が東京に出発する運命の日だ。ここで、かつての春子(母)の旅立ちを夏(祖母)が浜から電車に向かって応援していたことが判明する。寡黙な琥珀職人(塩見三省)がどんでん返しの舞台回しになる。
 
 夏が大漁旗を振って見送るのを画面で見ながら、そうか電車の別れはこんな表現もあるのだと思い出した。これまでも映画やドラマで何回かこうしたシーンを見てきたのだった。しかし、いずれにしても電車や汽車の別れは「刹那というか、アッという間の別れ」だなぁ、そう実感する。気持ちがまとまらないうちに発車の時間が来て、電車は何もなかったように去っていく。
 
 そんな私感は、幼い時からの船の別れを引きずっているからだろう。物心ついたときには、北海道古平港は道内有数の水揚げ量を誇る漁港だった。船団を組んだ漁船が何ヶ月もかけた北洋や遠洋漁業に出航した。浜の漁協のスピーカーからは北島三郎八代亜紀の演歌が町中に鳴り響いて、船が沖合いで見えなくなるまで20分ほどもかかったのだ。
 
 漁港で見送る家族や関係者は船が小さな点になるまで見送った。それが出船の別れであり、ときには人生の別れにもなった。漁師町では普通の風景で、子どもたちはその空気の中で育った。それに比べて、電車の別れは「刹那の別れ」だ。あっという間に時間になり、気持ちも十分に伝えられないままに発車してしまう。だが、いまでは自分も「電車派」になっている。