枇杷(びわ)の実

隣町の友人、作家・F氏の今朝のブログ「行逢坂」に、『エッセーの味』を感じた。
 
《食卓に出された果物の名前が出てこなかった。見覚えはある。果物付きの朝食などは久しくなかったのでびっくりしたのかも知れない。あれでもない、これでもないとしばし(2、3分)考えたあとに、思い出した。ほっとした。枇杷だった。ドングリを一回り大きくしただけの小振りな実。食後、薄い皮を向いて口に入れると果肉がとろけるようにして舌になじんでいった。甘みはなかった。昔もこんなものだったろうか。近所の人からもらったものだという。庭に枇杷の木が植わっているのだろうか。なつかしいような、うらやましいような気がした。》
 
実はここ数日、小生も朝食のときに枇杷を食べている。F氏の食べたものより一回り大きく、甘味も少しある。すぐ近くの子ども公園にある枇杷の木から家人が30~40個も採ってきたのだ。長男が生まれた翌年に、枇杷の種を以前の家の土に埋めたら芽が出て成長した。やがて今の場所に引越しするときには2㍍ほどの高さになっていた。
 
家人はその2本の枇杷の木を、近くの子ども公園に移し替えた。それらの木は年毎に大きくなり、一本は公園管理の人が切ってしまった。残りの一本がいまでは10㍍近い大木に育っている。毎年、実をつけるが、家人によれば「今年はこれまで見たことのないほどたわわに実っている」という。それで「少しいただいてきた」のだそうだ。友人におすそ分けもした。
 
今朝も食後に芯の部分から皮を剥いて、頬張った。いかにも新鮮な味のする果汁が口中に広がった。調べてみると、実際に栄養分は豊かな果実だった。「もう少し大きければ売れるなぁ」と言ったら、「早い時期に実を間引けば大きくなるでしょう」との返事が来た。淡いオレンジがかった黄色の枇杷の実は見目も美しい。来月、息子は38歳になる。