角砂糖

 朝日be版の日野原重明「101歳・私の証」に角砂糖の話が出ている。『1941年のことである。グルー駐日米大使を診察後、大使夫人が出してくれたコーヒーに添えてあった大型角砂糖を1個はコーヒーに入れ、2個はポケットに入れてにぎりしめて持ち帰り、両親と妻とで大事に分け合った』などと書かれている。このエッセーを読んでいて、思わず軽いため息をついてしまった。
 
 先日、池袋・ルミネの「つばめグリル」で食事のあと、コーヒーを頼んだら小ぶりの角砂糖2個ついてきた。その包装がきっちりしていて、角砂糖を取り出すのに時間がかかった。この30秒ほどの間に実はいろいろなことが頭の中を巡っていた。こんな上品な角砂糖は久しぶりだった。おそらく昨夏にパレスホテル・ラウンジでジャーナリストのTさんと再会した時の角砂糖以来だったかもしれない。
 
 1個の角砂糖を丁寧にコーヒーに溶かし込んで、スプーンをゆったりと回した。そのときに、記憶のカップの中でまったく忘れていた何かに触ったような気がした。一瞬、幻の感じになった。目の前にいるのはK氏だったのに、学生時代の女性友人の声で、こう言ったように聞こえたのだ。「だれでも玉葱のように一枚ずつ剥(む)いていって、『中に何もなかった!』と言ってポイと捨てるんだね」。
 
 若かった頃の話だ。そう思い直した。とても美味しいコーヒーを一口飲んで、「今日は疲れているからもう帰ろう」と決めた。梅雨空が晴れて、急に暑さがぶり返してきたせいだった。