「ヒマワリ、ひまわり、向日葵」

  【〈ひとり げらげら/わらってる/まわりを しーんと/させちゃって〉。まど・みちおさんの詩『ヒマワリ』である。◆形容矛盾であるが、音のない世界をこれほどにぎやかに彩る花はほかにないだろう】。今朝の読売「編集手帳」が日曜日の東京版に掲載された千葉県成田市のヒマワリ畑の写真を受けて、そう書いている。
 
 我が家のトイレに掛けてあるクラブツーリズムのカレンダーにも、今月は大輪のヒマワリが溢れるように写っている。撮影地は山梨県明野とある。「顔の元気なヒマワリ」をたくさん撮ったそうだ。玄関先のヒマワリも本数はわずかだが、真夏の日差しを吸い込みながら目一杯背筋を伸ばして咲いている。
 
 今から30年ほど前に家人の実家(北海道砂川市)に行った時、義兄が家族親戚を引き連れて北竜町のヒマワリ畑に行った。迷路になっていて、まだ小さかった子どもたちが奇声を上げてはしゃいでいた。1987年に第一回「ひまわりまつり」が行われた。ひまわり畑の走りだ。今年27回目だというが、ヒマワリは年をとらない。
 
 ヒマワリといえば、ゴッホの「向日葵」。だいぶ前に本物を観たが、ほとばしるような生命の輝きを感じた(月並み表現??)。それは南仏の太陽であり、ユートピアの象徴だと聞いた。マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンのイタリア映画「ひまわり」の色彩を思い出す。戦争の悲劇。今でも鮮烈に記憶のスクリーンに蘇る。