大連・金州の「正岡子規句碑」

   昨日、中国・大連にいる幼馴染のCちゃんからメールが入った。正岡子規の句碑が自分の住んでいる大連市金州にあって、奥様と一緒に見てきたという。句碑の写真が添付してあった。「金州城にて 子規  行く春の 酒をたまはる 陣屋哉」。
 
 句碑のある場所は、本来「金州博物館」として清代の役所であった金州副都統衙が復元されているのだが、現在、博物館は移転して正面の門は閉じているそうだ。奥様の尽力で中に入り、見学して写真を撮ってきたと書いてあった。
 
 
明治28(1895)年、新聞「日本」の記者だった子規は、日清戦争の従軍記者として遼東(りょうとう)半島に赴いた。従軍記者とはいえ、食事や宿舎も満足なものを与えられなかったが、旧松山藩主久松定謨(ひさまつ・さだこと)公から宴に招かれた。それを感激して詠んだ句で、陣屋というのも金州城内の意味だという。
 
 久松定謨公は近衛師団長・北白川宮能久親王の副官として日清戦争に出征。旧松山藩士(家臣)も従軍し、その中に子規が従軍記者として入っていた。定謨公は広島で子規に佩刀(はいとう:身分の高い人の太刀)を授けたという。また、当時の清国・金州では、割烹店での宴に子規を招いた。その時の子規の一句だ。