「寒鰤の刺身をどうぞ!!」

予定通り昨夜、北海道・積丹町の妹夫婦から生の鰤(ブリ)と鮭が届いた。電話したら「しっかり冷凍されているかすぐ確認して」ということで、家人が「大丈夫、きちんと冷凍されている」と答えた。「それじゃ鰤は刺身でもしゃぶしゃぶでもOKです」と妹。
 
積丹半島では大謀網で鰤が捕れて、義弟が親戚の漁に手伝いに行ってもらってきたという。捕れたてをすぐ捌(さば)いて土曜日に送ってくれた。11月早々、寒鰤の季節になり、海ナシ埼玉県のわが家にもおすそ分け。お返しは恒例のサツマイモと川越・亀屋のドラ焼きなのだ。
 
続いて札幌の妹からもメール。「少し早いけどお歳暮の希望を聞いておきます」。電話したら「お姉さんとダブらないものでなにが食べたいか教えて?」とのこと。「鰊の切り込みとか郷里(いなか)くさい珍味を。子どものころを思い出すから。シャレたものはパスする」と伝えた。電話の向こうで笑っていた。
 
一昨日、昨日の寒さは半端でなかったが、妹たちが北海道でがんばって生活しているのを声で感じて元気が出た。そして、はっきり分かったことがある。自分がなぜ東京に出てきたのか、だ。東京という「情報」の中にどうしても我が身を置いてみたい。生きていく何かが見えるはずだ、と。
 
こんな答えは初めてだった。若い自分がこれから性根(しょうね)で生きていくために大事なことだった。積丹半島・古平町で見るテレビ画面を通して飛び込んでくる東京の「躍動感」が強烈に誘惑していた。あれから45年経った。「東京」には一瞬で着くけど、永遠に届かない。昨夜、はっきり理解した。