「敗北の匂い」

「釘箱の中から匂う冬の海」(渡辺誠一郎)―今朝の読売「四季」(長谷川櫂)。句を見て、いくつも過去の空間が浮かんだ。「そうなんだ」とうなずく自分がいる。錆びた鉄の匂いはたしかに厳冬の潮風の匂いだ。今日の一句は発想が劣化してきた自分の感性をいま一度取り戻すきっかけになる予感がする。
 
有馬記念は初めての当たり馬券だった。ビギナーズラックで一桁増えた金額が戻った。40年以上前の話である。先輩で遊び人のKさんがグループ買いを勧めて、「今回は獲るから付き合え」と言われた。2千円を諦めて差し出した。それが当たった。月曜日にはKさんと同僚たちが新橋・烏森通りの居酒屋で祝杯をあげた。
 
それから半年間、Kさんの仲間たちと遊んだが、その人間関係のルールが合わなかった。シガラミで時間を拘束されることだけはぜったい嫌だった。都会人の仲間たちについていけなかったのが真相かもしれない。Kさんが退社して自然消滅した。その後、数回、馬券を買ったがもう勝つことはなかった。
 
昨日の有馬記念を見ていて、そんなことを思い出した。パチンコにも嵌った。新橋駅前や土橋の店で長時間打った。ある程度時間をかけないと勝てないが、かけ過ぎると完敗した。宝くじは掠ったことさえない。個人でもグループでもだ。高島平時代の落語好きの知り合いとも3回買った。いまやギャンブル全体が低迷している。
 
さて「釘箱と冬の海」の句である。冷たいにび色の匂いはギャンブルの敗北感に似ている。ビジネスを自分で始めてからは、その時、その日の勝負で高揚していたし、知恵も絞った。それでも負けたり勝ったり五分だった。広報という人間相手の生業では言動のすべてがストレスになった。笑い方が砂をかむように変わった。