最古の戸籍、黄色のブイ

  毎日「余録」はこう始まっている―その昔、役人を「刀筆の吏」と呼んだ。「刀筆」とは文書による記録を表す。役所の記録に木簡や竹簡を用いた昔、筆は文字を書き入れるのに、刀はそれを削るのに使ったのだ。木簡がすたれた後も、下級の官吏を指す言葉として残った▲それが細事にこだわる小役人根性をなじるのに使われることが多かったのは、司馬遷の「史記」の用例に由来するらしい。しかし1300年以上の歳月を超えて現れた日本最古の戸籍となれば、それを記した「刀筆の吏」のきちょうめんさに大いに感謝すべきだろう▲むろん福岡県太宰府市の国分松本遺跡から出土した7世紀末の木簡群の話である。
 
 昨日、各紙とも「国内最古の戸籍資料」として大きく取り上げた。わが国の律令政治黎明期の支配構造を知る一級資料だという。縦31㌢、横8㌢の木簡の表裏に同じ集落に住む戸主ら16人の名や身分、続柄が書かれていた。「名前を知れば、1300年以上も昔の縁もゆかりもない「身麻呂(みまろ)」さんや「夜乎女(やおめ)」さんにさえ、ほのかな血のぬくもりを感じる。名前とは不思議なものである」(本日付読売「編集手帳」)。
 
 名前といえば、大震災の津波で米アラスカ州に漂着した黄色のブイが、持ち主である宮城県南三陸町の三浦さき子さんの手元に届けられた。黄色の球に「慶」の文字が書かれていて、震災前に開いていたレストラン「慶明丸」の看板の一部だという。慶明丸は31年前に病死した夫・慶吾さんの船の名前でもあった。店名は、夫と長男・明弘さんの名前から一字ずつとったという。
 
ブイを発見したアラスカ州の夫婦から託された航空貨物最大手の米フェデラル・エクスプレスが空輸して、昨日、仮設住宅に暮らす三浦さんに届けた。「慶ちゃんが帰ってきた」と三浦さんは涙ぐみながら何度もさすったという。黄色のブイに「慶」と名前がついていたことから、モノからコトに変わり、三浦さんの人生を浮き彫りにした。店はおそらく再開されるだろう。そう願いたい。先ほどの編集手帳ではないが、「名前とは不思議なものである」。

一方、偽名を使って実在の人物に成りすまし、もうひとつの人生を生きようと試みたオウム事件犯人男女の卑劣な逃亡劇の解き明かしをいま見せられている。また、現代社会では名前を偽るネット犯罪は溢れるほどになってきた。こうした凄まじい世界の中で、木簡やブイの名前が語る真の意味をしっかりと記憶しておきたい。