「田中角栄」読了

 早野透著「田中角栄」を読了した。やはり一人の男の人生はかなり長いものだと感じた。新潟の貧村に生まれて東京をめざし、上野駅についてタクシーに乗ったら「雲助」だった。土方をやったあと、保険雑誌記者になり、そのあと貿易商の会社に入る。この間に何回も上京するときの「夢」は破れた。19歳で機械の製図や機械の基礎計算をする「共栄建築事務所」の看板を掲げて独立。軍事費膨張の時代の中で、「田中角栄」が次第に出来上がっていく。
 
 先日、友人と話していたら、「いま何で田中角栄なのか?」という鋭い質問を受けた。たしかにそのようなはっきりとした動機があって読み始めたわけではない。ただ、だが、今の政治家の小粒さと劣化にやるせない深いため息をついていることは事実だ。角栄の功罪はもちろん若干は押さえているつもりだ。それにしても安倍、麻生を始めとする田中からすれば「孫」にあたる世代の政治家たちに、あまりにも上滑りのお坊ちゃん臭さを感じてしまうのだ。
 
 早野氏は最後にこう書いている。「角栄が去って二十年、角栄の取材メモをひっくり返していると、あの頃の政治の物狂おしい活気が蘇ってくる。私たちはそこで生まれ、育った「昭和」、とりわけ「戦後」の日本の復興と成長と転落をそこに見る。いま、『歴史の狡智』としての田中角栄を通して、日本政治の苦悶の過程を見てもらい、これからの日本に、人々がいたわりあえる、真の民主主義を実らせていくことができればと願っている」。早野透、1945(昭和20)年生まれ。