「ことば」より「好物」

 いま坐っているパソコンの椅子の横に一か月分余の朝日新聞が積まれている。入院してから今日までの分で、かなりの量になってきた。読売は読了後に息子夫婦にもどしている。

 

 朝日「折々のことば」(鷲田清一)を切り取ってきた。1700回を軽く越えて連載はつづく。このコラムと読売「編集手帳」は毎朝、脳みその餌になってくれる。だから休刊日は淋しい。

 

 退院して一週間が過ぎたのに、まだそのままツンドク状態だ。体調がじゅうぶん整っていないので、切り取り始める気迫がない。きょうも「まぁいいや、土曜日にやろう」と決めた。

 

 このところおでん、うなぎ、ごっこ鍋、チョコ、豆大福etc、好きなものだけ食べている。今朝、鼻血がでた。入院中の塩分、蛋白質の制限食に慣らされた胃袋を現状復帰させたい。「ことば」はその後だ。

 

きょうから再開します。

 「真鱈のチュウ」を何十年ぶりに食した。チュウはタラの胃。昨夜のタラ鍋に入っていた。口に入れて噛み出したら記憶が蘇った。小学生の自分がモグモグしている。胃壁は思いのほか硬いが、奥にひそむ旨味が染み出してくる。

 積丹半島沖で獲れた真鱈は頭も大きく、体に斑模様がくっきり浮いている。だからマダラ、との説もあるらしい。身もスケソウダラと異なってしっかりしている。野菜を入れてちり鍋にし、味ポンで食べた。二人で半分食べるのが精一杯だった。

 積丹町の妹は肝(キモ=肝臓)も入れてくれた。獲れたて新鮮でなければキモは傷みやすい。それも昨夜ありがたくいただいた。昔、近所にスケソウの肝から肝油をつくる工場があった。少し油くさい錠剤を飲まされたことも思い出した。

 マダラのもっとも美味しい時期に贅沢なタラ鍋だった。今年一月の締めメシとなった。体調も世間も斑模様の呈だが、如月に入った。「2」は自分の好きな数字だ。肝を固めてチュウ(中)をめざす。来週は2人の友人が来てくれる。ありがたい。

 

上の原稿は2月1日昼前に書いたドラフト原稿。午後チェックして載せるつもりでいた。が、体調不良によりそのままに。3日から26日まで入院していた。きょう一部手を入れて書き上げた。今晩は孫娘のひな祭りとわたしの退院祝いを兼ねてNママがごちそうをつくってくれた。

春告げ便

   昨夜積丹沖で水揚されたニシンが届いた。お礼の電話をして「かなり大きいけど、何年生?」とたずねた。妹は夫に確認して「7年生だと」の答。どおりで大型魚体なのだ。その昔ニシン黄金期には父たちは3年生から獲った遠い記憶がある。

 

 資源管理の効果でニシンの成長が守られているなら嬉しい。7年生は留年続きのボス学生ではなかった。かつて数の子以外は肥料とされたニシン、今の時代に合った活用に期待。「オスとメスを対に一袋ずつ入れたから」。わが家で産卵する? 祝春来。

 

 ベトナム・ダナンからの年始メールも届いた。日本語学校教師としてスタートを切ったTさんからのmonthlyreport。第一日目に先生5人の歓迎を受け「まずはフォーの美味しい店」に案内された。30代同僚たちのプロフィールも。

 

   年末年始休暇で近くの都市めぐりも始めた。今回はダナンの現在の空気が伝わる文章だ。「新年を飾るのは菜の花が多い」。かつて彼の奥様が言っていた。「あの人はどこに行っても生きていける人なの」。小生もしみじみそう思う。

「鰊(ニシン)、送るよ」

 

 

 北海道・積丹町から妹の弾んだ声が受話器に響いた。「父さん(夫)が鰊(ニシン)もらってきたから今日送る。積丹沖で獲れ始めた」。もう。春告魚の一番目だ。暖冬騒ぎの中、ニシンまで産卵時を急いでいるのかな。いずれにしても「OK、楽しみに待つ」。

 

 埼玉はきょう午後、二度目の降雪が予測されていて、外気がどんよりと重い感じだ。今月を乗越えれば春の予兆があちこちで見られる。少しずつ身体も軽くなって食欲も出るし気分も上がってくる。そんな風に期待している。約束済みの友人との再会が叶う。

 

 そんな気分に郷里からニシン、春告魚が飛び込んでくれた。思わず口角が上がった。シャープな青みがかった獲れたてのニシンは、身が締まっている。鱗が光っている。まもなく近くの海岸で海水を白く染めながら産卵が始まるだろう。漁師町が活気付く、うれしい。

 

 ニシン跳ね 漁師声揚げ 網を引く

森友先生の蒲鉾「白銀」

 「森友先生の蒲鉾、これで終わりだよ」、家人が昨晩そう告げた。40年間以上もお歳暮で頂いてきた山口・防府市の蒲鉾「白銀」はスケソウダラとタイのすり身から作られていて、その歯ごたえと味の良さ、真っ白の上品さは天下一品。最後の一本だ。

 

 森友幸照先生はこの白銀に郷愁の思いを込めて送ってくださった。我が家は今も子ども家族におすそ分けしておせちとして食卓に上がる。きのうその白い切り身を口に運びながら先生に深く感謝した。多くの人と機会を紹介してもらった。その足で四谷荒木町の小料理屋に。

 

  先生は雑誌編集者から歴史研究者になり中国古典、幕末から明治維新の志ある人物と向き合った。この入社間もない田舎者にも身の余るほどの知識と温情を与えてくれた。ある意味、社会人としての自分の半分は森友先生の影響を受けている。

 

 奥様から年末に書状を拝受した。「正月が過ぎたら森友は郷里の先祖代々の墓に納骨します」。電話をしてお伺いできないことを詫びた。奥さまにもずいぶんお世話になった。先生から「雑誌づくりの基本は現実の予見だよ」、そう例えて人生を教えてもらった。

記憶の混乱始まる

 昨日からだいぶ落ち込んでいる。病院に提出する検査可能日を書いた用紙を失くした。家人の付添都合が良い日が記してある。行く間際に見つからず頭が混乱状態になった。バッグに入れたつもりだが、ない。心当たりの場所にもない。Mmm・・・??

 

  家人が担当事務の人に自分の手帳を見て検査可能日を伝えた。それだけの話だが、自分自身にとってショックが大きかった。書いた紙は探したがまだ発見できない。この混乱ぶりはなんなのだ。未知の体験で、恐ろしくなった。Take2のない世界。

 

 認知症はパネルが一枚ずつはがれるように始まる。脳の部分が剥がれ落ちる状態がつづく。一挙に認知症になるのではなく、静かに記憶装置が喪失されていく。自ら対応するのと、家人や家族、病院スタッフにもフォローしてもらわねば。新たな風景だ。

幸運魚・ゴッコ汁

 昨夜「ゴッコ汁」をやった。家人が2軒分つくって二階の息子家族にもあげた。北海道の郷土料理・ゴッコ汁は寒中が旬。産卵時の見事なゴッコ(ほてい魚)の身と大きな卵が特徴。コンブだしに豆腐、長ネギを加えていただく。

 

 獲れる数が少なく傷みが早いので漁師関係者以外あまり食べられなかった。北海道・東北日本海側の100㍍海底で育ち、産卵時に海岸ちかくに寄ってくる。子どものころ潮が引いた磯浜にゴッコが残されていたのを見た。

 

 淡白で上品なコクの旨味はコラーゲンによる。ゴッコはほとんどの部分を食べる。身のコラーゲンはおそらくクラゲやエビ類プランクトンをエサにしているからだろう。体型、顔つきはイケ魚ではないが、食べたら極上の深海魚。

 

 30年前の2月、独立して新会社を立ち上げた。披露パーティの前夜、3人の協力者にごっこ汁を振る舞った。祝いの宴にふさわしい魚で、近くの寿司屋さんに調理を頼んだ。要点を伝えたらプロの味で出てきた。myラッキーフイッシュ、“ゴッコ”。