中曽根元首相死去

 

 「中曽根元首相が死去」、昨日午後流れた速報に思わず心が動いた。三十代のときの先輩社員がマスコミ出身で、ほぼ毎週官邸記者クラブの後輩を訪ねた。同行して一緒に話を聞くことが4年間許された。田中角栄首相後期の政局動乱期からだった。

 

 当時中曽根氏は“風見鶏”と呼ばれて生々しい動きをしていた。しかし、最後に総理の座に着き、時代を変えた。今朝の朝日新聞で元同紙コラムニスト・早野透氏は「中曽根氏の句『暮れてなお命の限り蝉しぐれ』は彼の人生を描いて不足ない」と書いた。

 

 経済団体の新春パーティで何回か挨拶を聞いたがマイクに乗る中曽根氏の声は朗々としてエネルギーを放ち、カリスマそのものだった。派閥全盛時での現実的な舵取りは揶揄もされたが大きな成果を残した。各紙はそれらを網羅して掲載している。

 

 手元の「情と理 後藤田正晴回顧録」(講談社)によれば、「(中曽根さんは)戦後の総理大臣の中でも、わたしはまず出色の総理大臣だったと思います。あの人の力量の結果、それなりの成果を収めた」、官房長官として支えた後藤田氏はそう述べている。