言葉の力/言葉のいのち

 先日5月5日付毎日新聞「余録」の書き出しはこうであった。
 
言葉の持つ力。それは『傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力』だー。今年の本屋大賞を受賞した小説『舟を編む』(三浦しをん作、光文社刊)の一節である。辞書は言葉の海にこぎだす舟、その舟を編むのが辞書づくりだという比喩が美しい▲悲しいかな、私たちが現実に耳にする言葉は、辞書づくりに一生をかける作中人物たちのように温かくはない。相手を責め立てる言葉、だれかとつながりあうための言葉ではなく、だれかを傷つけるための言葉がはんらんしている」
 
今朝、目にした特養老人ホームの「そよ風」という小紙に「言葉のいのち」という巻頭言があった。施設長が書いた文章だがしっとりと読ませる。三浦しをん舟を編む」を紹介している。「・・・それに続いて作者の肉声が聞こえてくる。」と、次のように引用している。
 
 「何かを生みだすためには、言葉がいる。岸辺(*女性編集者)はふと、はるか昔に地球上を覆っていたという、生命が誕生するまえの海を想像した。混沌とし、ただ蠢(うごめ)くばかりだった濃厚な液体を。ひとのなかにも、同じような海がある。そこに言葉という落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。愛も、心も。言葉によって象(かたど)られ、昏(くら)い海から浮びあがってくる」
 
それとは「余録」の下線部分を指す。この施設長は「言葉というものを追究していけば、人間の思いの根源、そして目に見えないいのちの基に必ずつながっていく」と述べている。
 
噛み締めなければならない表現だと思う。